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ひさしぶりに宮古に行きました。
カテゴリーとかブログ内を読みやすいように整理中
2005年夏以前の記事の写真が消えています。
ご了承ください。

2005年08月08日

宮古の俳人「篠原鳳作」を知っていますか?

宮古の俳人「篠原鳳作」を知っていますか?

なんかすばらしいです。
「しんしんと肺碧きまで海の旅」
目を閉じれば宮古の海をイメージできます。
この短い俳句で。

この句は「無季俳句」と呼ばれる。
俳句って季語を入れるものでは?
と思うかもしれない。
実際「俳句として認めない」という考え方もあるらしい。
きっとその人はこの沖縄、
特に南西諸島を経験していないのだと思う。
篠原鳳作は無季俳句を推進していたようだ。
宮古にいたら気持ちはわかる。

ならば俺はこの句に「常夏俳句」と名づけたい。
(真剣に俳句に取り組んでいる人にはおこられそうだけど)

享年三十歳の篠原鳳作は
たぶんこの俳句は20代に作ったのだろう。
すごい人は若くしてすごいんですね。

<略歴>
篠原鳳作(しのはらほうさく) 。
1906~1936。
俳人。
「天の川」同人。
沖縄県立宮古中学にて教師を務める。
本名・篠原国堅(くにかた)。

<篠原鳳作の作品を紹介しています>
高遠弘美の休み時間
深秋会
やぶちゃんの電子テクスト集

<写真は宮古島の公園にて>

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この記事へのコメント
リンクを張っていただき本当に嬉しく思っております。当該ページのURLを変更いたしましたので、以下の通り、よろしく御変更願えると嬉しいです。

http://homepage2.nifty.com/onibi/texthaiku.htm

やぶちゃんより
Posted by やぶちゃん at 2005年09月23日 14:55
やぶちゃん さんへ>
リンク貼りなおしさせていただきました。
引き続きよろしくお願いします。
Posted by ぱふ at 2005年09月23日 20:28
ぱふ樣
永く御無沙汰しておりますが、お元気でしょうか。貴ブログが暫らく更新なさっておられないので少々心配です。
小生は親族の身体不具合のため二年前に高校教師を早期退職致し、今は全くの野人となり、今は好きな詩歌文学から宗教・生物学まで分裂的な電子化評釈などを手掛けております。
本年初より篠原鳳作全句集を目指してブログでテクスト化評釈を始めました。よろしければご覧下さい。向後ともよろしくお願い致します。

http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/cat23660700/index.html
Posted by 藪野直史 at 2014年02月13日 10:48
浪のりの白き疲れによこたはる

浪のりの深き疲れに睡(ゐ)も白く

[やぶちゃん注:「浪のり」は船が大きな波のうねりに乗ることもいうが、私にはどうも「白き疲れ」「よこたはる」「睡も白く」(船の波乗りであれば眠くなる前に気持ちが悪くなろうし、それを「白き疲れ」とは表現するとは思われぬ)、そして続く句(この二句と次の句は同じ九月発行の『天の川』掲載の三句なのである)をセットに読むと、やはりこれは船上の詠ではなく、サーフィンとしての「浪のり」をし疲れた後の、白砂の浜での景であるとしか読めないのである。因みに「浪のり」の本邦での起源はウィキの「サーフィン」で見ると、『江戸時代の文献に、庄内藩・出羽国領の湯野浜において、子供達が波乗りをしている様子を綴った記述や、「瀬のし」と呼ばれる一枚板での波乗りが行われたという記録が残っている。すなわち、現在の山形県庄内地方が日本の波乗りの文献的な発祥の地と見なせる』とある。但し、『現在の形式の日本でのサーフィンの発祥の地は、神奈川県藤沢市鵠沼海岸、鎌倉市、千葉県鴨川市、岬町太東ビーチと言われており、第2次大戦後日本に駐留した米兵がそれらのビーチでサーフィンをしたのがきっかけという説がある』とあり、ここでの「浪のり」というのも今のサーフィンのようなものとは大分様子の異なるもののようにも思われる。宮古島のサーフィンの歴史にお詳しい方の御教授を乞う。]

海燒の手足と我とひるねざめ

[やぶちゃん注:前に注した通り、以上三句は九月発行の『天の川』掲載句。]



ここに質問するのが一番かと思いました。よろしくお願い致します。
Posted by 藪野直史/戦前の宮古島にサーフィンはあったか? at 2014年03月29日 10:38
但し、実はこの直後(翌月)にまさに彼の代表作でこのブログにある、

しんしんと肺碧きまで海の旅

を含む「海の旅」句群が並ぶことからは、やはりこの「浪のり」は船の波乗りのようにも思われます。戦前の宮古でサーフィンがやられていたら、こんなに素敵なことはないのですが。
Posted by 藪野直史/追伸やっぱりサーフィンではないのかなぁ…… at 2014年03月29日 10:46
しんしんと肺碧きまで海の旅

の句は上記三句と同じ九月号の『天の川』掲載句でした(他の「海の旅」句群は十月発表で、底本としている全集の配列がこの句を十月の句の中に動かしてしまっているために見落としました。すみません)。

されば……やっぱり……サ―フィンじゃあ、ないのかなぁ……

(すみません。だらだらと)
Posted by 藪野直史/訂正 at 2014年03月29日 10:54
以下、とりあえずの今の私の解釈の決定稿をお示ししておきます。
「篠原鳳作句集 昭和九(一九三四)年九月及び十月 /  「海の旅」句群」
http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2014/03/post-73f6.html

トンデモ解釈の迷走でお騒がせしました。
お読み戴いた方で何か御情報があればよろしくお願い位申し上げます。



浪のりの白き疲れによこたはる

浪のりの深き疲れに睡(ゐ)も白く

[やぶちゃん注:「浪のり」は船が大きな波のうねりに乗ることもいうが、私にはどうも「白き疲れ」「よこたはる」「睡も白く」(船の波乗りであれば眠くなる前に気持ちが悪くなろうし、それを「白き疲れ」と表現するだろうか?……しないとは言えぬか……船酔いのぼーっとした感覚は「白き疲れ」としてもおかしくないな)、そして続く句(この二句と次の句は同じ九月発行の『天の川』掲載の三句なのである)をセットに読んだ初読時、やはりこれは船上の詠ではなく、サーフィンとしての「浪のり」をし疲れた後の、白砂の浜での景であるとしか読めなかったである。
 因みに「浪のり」の本邦での起源はウィキの「サーフィン」で見ると、『江戸時代の文献に、庄内藩・出羽国領の湯野浜において、子供達が波乗りをしている様子を綴った記述や、「瀬のし」と呼ばれる一枚板での波乗りが行われたという記録が残っている。すなわち、現在の山形県庄内地方が日本の波乗りの文献的な発祥の地と見なせる』とある。但し、『現在の形式の日本でのサーフィンの発祥の地は、神奈川県藤沢市鵠沼海岸、鎌倉市、千葉県鴨川市、岬町太東ビーチと言われており、第2次大戦後日本に駐留した米兵がそれらのビーチでサーフィンをしたのがきっかけという説がある』とあり、ここでの「浪のり」というのも今のサーフィンのようなものとは大分様子の異なるもののようにも思われる。宮古島のサーフィンの歴史にお詳しい方の御教授を乞うものである。
……が……ところが、である。
……どうも残念なことに、これは、やはり、サーフィンなんどというのはトンデモ解釈で、やはり、船の「浪のり」=波乗り=ピッチングであるらしい。次の次の「しんしんと肺碧きまで海のたび」の私の注及び次の月の「海の旅」句群の注を参照されたい。……ちょっと淋しい気がしている……]

海燒の手足と我とひるねざめ

しんしんと肺碧きまで海のたび

[やぶちゃん注:これは謂わずと知れた鳳作の絶唱にして第一の代表作である。実はこれは底本では次の十月の発表句の中に配されてある。それは次の月の句群を見て戴けば分かる通り、この句がまず単独で九月の『天の川』の前の三句と一緒に示され(それと前三句との配列は不詳であるから、取り敢えずここでは最後に置いた)、翌月の『傘火』には、この「しんしんと」を含むまさに鳳作会「心」の「海の旅」句群五句が纏めて発表されたことによる(即ち、底本は基本が時系列編年体でありながら、こうした句群部分では編者による操作が行われているために正しく並んでいない箇所があるということである。これは今回の電子化で初めて気づいた。特にこの知られた鳳作の作でそれが行われていようとは想像だにしなかったのでちょっとショックである)。……そうして……そこではやはり知られたように船がまさに「浪のり」して「シーソー」を繰り返す景が二句も詠み込まれているのである。――残念ながら、やはり――前にあった「浪のり」の句のそれは、船の「波乗り」――ピッチングを指していると考えざるを得ないということになろう。
 前に注した通り、以上四句は九月発行の『天の川』掲載句である。]

   海の旅
滿天の星に旅ゆくマストあり

船窓に水平線のあらきシーソー

しんしんと肺碧きまで海のたび

幾日はも靑うなばらの圓心に

幾日はも靑海原の圓心に

甲板と水平線とのあらきシーソー

 (註) シーソーは材木の兩端に相對し跨
     り交互に上下する遊戲。

[やぶちゃん注:鳳作畢生の句群であれば、全体を示した上で、最後に煩を厭わずに一括注することとする。まず、掲載誌であるが(発行は総て昭和九(一九三四)年。『現代俳句』は底本に示されたクレジットを号数と推定した)、
 滿天の星に旅ゆくマストあり   『天の川』十月/『傘火』十月
 船窓に水平線のあらきシーソー  『傘火』十月
 しんしんと肺碧きまで海のたび  『天の川』九月/『傘火』十月
 幾日はも靑うなばらの圓心に   『天の川』十月/『現代俳句』三号
 幾日はも靑海原の圓心に     『傘火』十月
 甲板と水平線とのあらきシーソー 『傘火』十月
である(最後の句の「註」も当然、『傘火』十月のもの)。
 以上から、この「海の旅」という前書きを持つ決定稿は『傘火』のそれと考えてよく、それは以下のようになる。

   海の旅

滿天の星に旅ゆくマストあり

船窓に水平線のあらきシーソー

しんしんと肺碧きまで海のたび

幾日はも靑海原の圓心に

甲板と水平線とのあらきシーソー
 (註) シーソーは材木の兩端に相對し跨り交互に上下する遊戲。

なお、「幾日はも靑海原の圓心に」の「はも」は終助詞「は」+終助詞「も」で、深い感動(~よ、ああぁ!)を表わす。
 これらとの連関性が、前月の「浪のり」の句に強く認められる(しかもそこには「しんしんと肺碧きまで海のたび」がプレ・アップされてもいる)ことから、やはり「浪のり」は乗船している船の波乗り、ピッチングであるということになる。お騒がせした。]
Posted by 藪野直史/お騒がせしました at 2014年03月29日 12:52
藪野直史様

詳しい情報の書き込みありがとうございます。
長年ブログのほう、放置してしまいました。
宮古でこの記念碑を見たのももう10年前になってしまいました。

伊良部島に橋もかかり宮古諸島に行きたい今日この頃です。
Posted by ぱふぱふ at 2015年06月25日 22:05
大分前にサイトのURLを変更いたしましたので、以下の通り、よろしく御変更願えると嬉しいです。

やぶちゃんの電子テクスト集:俳句篇
http://yab.o.oo7.jp/texthaiku.htm

また、

篠原鳳作句集
http://yab.o.oo7.jp/housaku.html

同縦書版
http://yab.o.oo7.jp/housaku-tate.html


の他に、

篠原鳳作全句集 やぶちゃん注釈附縦書PDF版
http://yab.o.oo7.jp/sinoharahousakuzennkusyu201408.pdf

も新たに(と言っても十年前ですが)作成致しましたので、御報告申し上げます。

  
Posted by 藪野直史 at 2024年04月09日 09:30
 
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